創業時(明治十年)より県北の米集積所として栄えた藤崎宮前の広町。
当時、荷車や馬車を引いて重労働をしたあとの人々唯一の楽しみは、当店でのお腹一杯の食事でした。
そのころから飽きの来ない味付けと低価格は皆に喜ばれ親しまれていました。
明治時代、夏目漱石先生も坪井の自宅から熊本旧五高へ通う道すがら、もしや蕎麦を食べられたのかもしれません。
漱石先生の「我輩は猫である」の一節に迷亭流のそば談義があり、食べ方のこだわりを本文に記しています。
旧五高内に蕎麦の花を見つけて詩に詠んでおられます。
「いかめしき門の這入ば蕎麦の花」
「秋雨や蕎麦湯でたる湯の臭い」
「蕎麦太きもてなし振や鹿の声」
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